―――いつまで眠っているんでしょうね、あなたは。
俺をいつまで待たせるつもりなんです? お寝坊さん。

 真っ白い病室。その白い静寂の中に、規則正しい音だけが響いていた。
 かたり、とノイズ音が交ざる。それは俺が鳴らした哀しみの音楽だ。唇が触れる寸前まで近づいて、眠っている血行のよさそうな顔を眺めて、綺麗な顔に何度も何度もそっとキスを落とす。
 早く起きてください、ずっと待っているんですから。あなたの怪我は全部治りましたよ。もう跡なんてほとんど残ってないですよ。
 恐るべき治癒力。その恐ろしいほどの生命力によってあなたはここに生きている。けれど、植物人間状態のあなたがこれから目を覚ます確率は五分五分。どんなに優秀な医者が見たとしても、あなたの意識だけはあなただけのものだから。
 そうして、ずっと眺めていても起きる兆候は、まだ見られない。

「手を握ってあげましょうか」

 あなたがこっちに帰ってこれますように。道しるべになれますように。
 ベットに横たわるあなたの、放り出された手をそっと握る。あなたの指、少し細くなった気がしますね。
 細く長い指先を絡めて、ぎゅうともう片方の手で包むように。こつんと額をそれに寄せる。あったかい。生きているあなたの温度。どくどく、あなたの音がなってるよ。ちゃんと生きてるよ。そうしてどのくらいの時間がたったのだろう。
 何日?何週間?何カ月が経ったのだろう?
 毎日のように側にいるからわからないといいつつも実際は、あなたが眠ってからもうすぐ一年になる。


 そしてそれは、突然だった。
 びくり、と握る手に電気が走ったような、反応。
 びくり、びくっ。継続的に何度も何度も。僕はここにいるよと、その存在を示すように。

「遅いん、です、よっ……ばか、」

 涙声になる俺の声に反応したのか、そのびくり、は手だけではなく、目蓋にまで。ふるふる、揺れる女の人みたいに長い睫毛。それがゆっくりと開いて、黒曜石の様な美しい黒が現れる。
 まだぼうっとしているのだろう、ぱちぱちと目を何度も開けたり閉じたりして。それでも、手は俺の存在を認めてくれたのか、ぎゅうと力が入って。俺は狂わんばかりに暴走する歓喜で、どうにかなってしまいそうだ。

「おはよう、ございます」

 お寝坊さんに、やっと声が届いてくれたのだ。ぼうっとした眼は、覚醒したようにはっきりと俺を見た。

「……やぁ、おはよう」

 そうして彼は彼自身の、俺に絡められた指先をじぃと眺める。その横顔は無表情。感動も何もない。
 あれ、どうしてだろう、こんなときに嫌な予感がする。超直感が疼いてしかたがない。外れろ。外れてくれよ。超直感なんて、いらないよ。

「……“あの子”は?」
「……え?」

 “あの子”って誰だろう。誰のことを言っているのだろう。
 恭弥さん?と口から勝手に漏れていく。

「“あの子”は、どこだい」

 俺の言葉は聞こえなかったようだ。恭弥さんは、“あの子”という誰かを探して、病室に視線をさまよわせる。
 何を探しているの。俺はここにいますよ。ちゃんとあなたの側に、いますよ。

「いないの?」

 ……“あの子”って誰ですか。俺の知らない人ですか。俺のことちゃんと覚えてますよね。ねぇ、こっちを見てください。
 恭弥さんを握る手に力が入り、冷たい手汗がどこかから溢れてくる。この先を聞くのが、怖い。

「“あの子”って、誰のことなんです?」
「君は、知らない? ―――――僕の、恋人だよ」

 漸く目を合わせてくれた恭弥さんは、俺に向かって心底不思議そうにそう、いった。






指先を絡めて通じるものなど僕らにはないのでしょう
(君はどうしてここにいるの。僕のあの子はどこにいったの)
title by 寡黙
どうか、このお話が最後まで完成できますように。2013/03/22 ちさ